サトシです。
今日は思う所があり、
僕がお礼奉公時代に転職した話を書いてみます。
(奨学金の返済が5年くらい残っていました)
昔話
いきなりですが、話はさかのぼり。高校2年の頃。
僕はある景品のため、駄菓子の当たりを集めていた。
集め始めたのは、保育園の頃だったと思う。
当時、近所の友達とよく行った駄菓子屋。
チラシに書かれたすごい景品に、目をくぎ付けにされた。
大きなカッコいい望遠鏡。
「ボクこれが欲しい!!!」
そう思い立ったのは今でも覚えている。
それから毎週100円のお小遣いを貰っては、友達と駄菓子屋に通い、当たりを集めた。
みんなその当たりを集めていた。
でも望遠鏡までの道のりは長く、途方もなかった。
友達は見えないゴールに飽き、一人抜け、二人抜け。
いつしかその当たりを集めているのは僕だけだった。
それでも僕は集め続けた。
小学生になると両親が離婚。
お小遣いが無くなった。
それでも僕は諦めきれず、友達の駄菓子屋通いに着いて行っては、おこぼれの当たりを頂いていた。
中学生になると駄菓子屋に通うこともなくなった。
それも友達が食べているのを見つけては、袋を貰い、当たりを確認しては集め続けていた。
(時には全く知らない方にも…)
高校生になると、駄菓子を食べる人もいなくなった。
アルバイトが禁止だったため、友達のお父さんの会社で春休みと夏休みにコッソリ働かせてもらった。
その給料を1年間のお昼代としてやりくりした。
たまに例の駄菓子を買っては、コツコツと当たりを集めた。
高校2年の時。
待ちに待った瞬間がやってきた。
僕はついにやりとげた。
10年以上経った応募用紙はボロボロだった。
新しい応募用紙に張り替えた。
大変だった。
僕はその宝物を封筒に入れ、ポストへと向かった。
ちょうどその日は祭りだった。
県内でも大きな祭りだった。
いつもは閑散とした道路に多くの人がいた。
僕は少しだけ遠回りをした。
でもそれが間違いだった。
見知らぬ不良グループに声をかけたれた。
「財布を出せ」
不良たちは、20円しか入っていない僕の財布を見て笑った。
僕の足はガクガク震えていた。
封筒を取り上げられた。
中を開けられ、応募用紙が見つかってしまった。
「それだけは… 返してください…」
でも…。
でも…。
ダメだった…。
僕は家に帰った。
何も考えたくなかった。
何もする気が起こらなかった。
何日かぼーっと過ごした。
始めて学校を欠席した。
気力を振り絞り、警察に行った。
でも身体や金銭的な被害がないと、事件にできないと言われた。
愕然とした。
また何日かぼーっと過ごした。
でも諦めきれず、また警察に行った。
またダメだった。
それでもまた警察に行った。
根負けしたかのように「調べてみるよ」と言ってくれた。
それから一ヵ月後。
僕には1年にも2年にも感じられたが。
犯人を捕まえたと連絡があった。
・・・
逮捕の経緯はこうだ。
駄菓子の製造メーカーに連絡すると、すぐに犯人が分かったらしい。
あの望遠鏡は、販売してからの20年、1人しか手にしていなかったから。
しかもそれが1ヵ月前。
製造メーカーでは、望遠鏡の応募が届き、社内は騒然としたらしい。
「ついに来たか!?」と、会社中の人が膨大な当たりの束を見に来たそうで。
その駄菓子を販売した20年前の元社長(すでに引退)まで、わざわざ見にくるほどだったと。
「その子に会ってみたい」
元社長と専務(その駄菓子を開発した方)が、直接手渡しに行こうとなったらしい。
2人は、百貨店で一番高い望遠鏡を買い、3時間かけて宛名の住所に向かった。
でもそこで待っていたのが、あの不良の一人だった。
二人の想像とは裏腹に、あっさりとした引き渡しだったそうだ。
それもそのはず。
不良には望遠鏡に何の苦労も、思いれも、感動もない。
不良はすぐにリサイクルショップに行って換金。
その裏取りで逮捕に1ヵ月かかったらしい。
・・・
僕はこの話を警察署の一室で聞いた。
他にも、グループ全員を逮捕した事、余罪が沢山あった事、犯人が未成年のため名前は教えられない事。
そしてあの望遠鏡は…。
僕の手に渡らないこと…。
望遠鏡は、別のお客さんに買われていた。
お客さんもリサイクルショップも、善意の第三者のため、返還は難しい事。
犯人に被害金を請求もできるが、取り立てるのはかなり難しい事。
期待はしていたけど、予想もしていた。
諦めるしかなかった。
示談もできると言われたが、断った。
「警察にお任せします」と伝え、お礼を言い、席を立った。
部屋から出ると声を掛けられた。
「あのお菓子を食べ続けてくれて、本当にありがとう」
元社長だった。
わざわざ3時間かけて会いに来てくれたそうだ。
そしてこれを受け取ってほしいと。
それは・・・。
大きな大きな望遠鏡だった。
いつも夢見ていた。
13年間憧れ続けた。
あの望遠鏡だった。
でも。
僕はあまりの急展開に、何が何だかの状態だった。
「あっ、あの、あの、すみません…」そんなことを口走っていたと思う。
そんな時。
元社長から「いつから集めていたの?」と聞かれ、ふと子供時代の思い出がよぎった。
その瞬間。
僕は泣いてしまった。
どうしても止められず。
どうにもならず。
一度涙が出ると、止められなかった。
鼻水をたらしながら、情けない声でワーワー泣いた。
でも。
みんな泣いていた。
元社長も、警察官の方も、周りで見ていた方も。
・・・
あれから10年。
望遠鏡は今でも僕の宝物です。
看護師になり、どんなに辛いことがあっても、望遠鏡で空を見ると「また明日から頑張ろう」と思えます
新卒で希望の診療科に配属されなかった時。
上司からこっぴどく叱られた時。
お礼奉公でがんじがらめの時。
僕はいつも望遠鏡を見ていました。
奨学金の返済か?
夢の救急看護師か?
僕は夢を選びました。
「夢は叶うもの」と知っていたからです。
もちろん大変でした。
奨学金の一括返済は、どうやっても無理でした。
でも諦めずにもがき続けました。
その結果、肩代わりしてくれる病院が見つかりました。
もちろん分割払いです。
でも給料が7万円近く上がりました。
それに。
夢だった救急で働けています。
もう少しで認定看護師にも手が届きそうです。
・・・
先日、元社長さんの葬儀がありました。
沢山の方が参列していました。
専務さん(現在の社長)が僕の事を覚えてくださっていました。
あの応募用紙が額縁に入れられ、僕と元社長の写真とともに社内に飾られていると教えてくださいました。
僕は今でもあの望遠鏡を見ていると伝えました。
専務さんは泣きました。
ぼくも、周りのみんなも泣きました。
帰りには沢山のお菓子を頂きました。
新幹線の中でお菓子を食べながら、葬儀で流れていたビデオレターを思い出しました。
元社長は「夢は叶うんだ」と嬉しそうに話していました。
僕もそう思います。