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看護師を辞めて転職したときの絶望感


鈴村さん(34歳・神奈川県)

「看護師を辞めても何とかなる」

当時の私は若さもあってか、看護師を辞めてからも色んな職場で働いた。

でもどん底の時期の絶望は、今でも夢に出てくるほどのトラウマになっている。
絶対的な貧困を経験し、社会的弱者となり、生きる意味を無くし、将来に絶望した。

「看護師を辞めたい」

私と同じように悩んでいる人は多いと思う。
でも私と同じ失敗をしては絶対にいけない。

人生は簡単に狂う。

だからこそ、私の不細工な人生から学べることもあり、ほんの少しでも誰かの役に立てばと思った。
興味があったら読んでみてほしい。


あなたは看護師に向いてない

看護師1年目の冬。
師長から「あなたは看護師に向いてない」と言われた。

同期が先に進む中、私はいつも遅れていた。
10分の処置に、30分も1時間もかけてしまう。
同期が7月から夜勤に入る中、私は冬になっても入れなかった。

春になった。
新卒の子が入ってきて、すぐに私を追い抜いて行った。

微かに残っていた自信が消えた。
「申し訳ありません」が毎日の口癖になっていた。
いつも一歩引いて、誰かの後ろに隠れるようになった。

申し送りで、酷く叱られた。
皆の見ている前で叱られるのは、とても辛かった。

いつの頃からか、ミスに異常なほど怯えるようになった。
ミスが怖くて、さらに消極的になった。

患者さんが転倒した時、その場から逃げ出してしまった。
患者さんの悪化に気付いた時、見て見ぬふりをしてしまった。

看護師としても人間としても最低だと思った。

私は看護師に向いてない。
師長からは愛想をつかされ、先輩達には無視され、後輩達には空気のように思われ。

私は看護師を辞めた。
5年間働いた病院だけど、何の未練もない。

人生の再出発だと思っていた・・・。


看護師を辞めてから

私は飲食店に転職した。

飲食店は楽だった。
業務は全てマニュアルに書かれていた。
いつ何をするか、こんなときどうするか。
全てマニュアル通りに行う。

その場その場で対応を求められる看護師とは別世界。
看護師時代は、予想外の事態にいつも怯えていた。
急変、インシデント、緊急入院。

でも飲食店はマニュアル通りにこなせる者が優秀だった。
あの恐怖から解放された。

この頃は、看護師を辞めてよかったと思っていた・・・。


何も考えない仕事

私は飲食店に転職してから、より一層バカになった。

飲食店に「思考」は必要ない。

マニュアルを覚える知能が最低限あればいい。
あとはマニュアルに沿って動くだけ。

お客さんからのクレームもマニュアル通り。

「申し訳ございません」
「すぐにお持ちします」
「お詫びのクーポン券です」

「ふざけるな!」
「そういう問題じゃねーんだよ!!」
「お前バカなのか!!!」

マニュアル対応は怒りに火を注ぐことがある。
私は怒られるたびに汗だくになり、顔を真っ赤にして、ひたすら「申し訳ありません」と謝り続けた。
感情を殺し、何も考えず、ひたすらマニュアル通り事務的に。

こんな時、病院では誰かが助けてくれた。
空気のような私でも、主任だったり、先輩だったり、ある時は後輩が駆けつけてくれた・・・。

だけど飲食店では誰も助けてくれない。
店長に電話しても「何とかしてくれ」の一点張り、本部センターに電話しても「マニュアル通りに」と言われるだけ。

飲食店に人間は不要だ。
考えたり、泣いたり、落ち込んだりする必要はない。

壊れたら捨てられ、新しいロボットがやってくる。
その毎日。

そこに「やりがい」なんて洒落た言葉は一切ない。


貧困の衝撃

飲食店の給料は低かった。

額面15万円。
保健と税金を引かれ、手取り11万円ほど。
家賃や光熱費、食費、スマホ代、生活雑貨、交通費などを使えば、残り1万円未満。

朝は食パン1枚にマヨネーズ。
昼は持参のお茶と、安い菓子パンを1つ。
夜は焼きそば、うどん、素麺、パスタのローテーション。
野菜や肉を買う余裕はまったくない。
ランチやショッピングは過去の話。

ためていた貯金は少しずつ減り、カードローンにも手を出した。
返済に困ることもあった。
返済日には、他からお金を借りる自転車操業をしたこともあった。
1つ歯車が狂えば、捨てが一瞬で崩れ落ちてしまう綱渡りのような生活だった。

看護師を辞めて2年もしないうちに貧困層になった。
でも貧乏になったと自覚するのは怖かった。

毎日夜遅くまで働き、客から罵倒され、身も心もズタズタにされ、少しずつ心が狂っているのに。
頑張っているのにどうして?
どうして私だけ?

そんな風に考えていた。

でも今ならよくわかる。
使い捨てロボットに価値はない。


将来への絶望

年上の友達がいる。
今はなきmixiコミュで知り合った。

元看護師。
看護師を辞めたからは、飲食店、お水、風俗で働いていた。

40歳に近くなると内容がきつい風俗でしか働けなくなるそうで、今は清掃員として働いている。
一度、看護師に復職したそうだが、何から何まで変わりすぎていて付いていけず、使えない人間扱いされ、2ヵ月ほどでクビになったそうだ。

「人生に何の希望もない・・・」

彼女の言葉は、当時の私に、とても、とても重くのしかかった。
看護師を辞めたことを後悔し、貧困がこれからもずっと、死ぬまで一生続く恐怖を感じた。


復職の現実

私は看護の仕事を探した。

でも簡単じゃない。
看護師は以前のような売り手市場じゃくなっている。
もちろんまだまだ人手不足な業界だけど、7対1看護が下火になり、以前ほどではないようだった。

ましてや私はブランクが長い。
いくつかは面接すら受けられなかった。
それでも面接まではこぎ着けたが、やはり風当たりは強く、6件の面接を受け、まさかの内定ゼロ。
色々と散々ダメ出しされ、惨めな思いもした。

看護師という強い資格を持っているにもかかわらず必要とされないのは、とても傷ついた。

それでも諦めず、復職サポートに力を入れている人材紹介会社に登録し、履歴書を送り続けた。

その結果、奇跡的に内定をもらえた。
受けた面接は10を超えていた。

人材紹介会社の担当さんが相当頑張ってくれたと思う。

「コネも労力もフル動員しました(笑)」
と笑ってくれたが、本当にいろいろとお世話になった。


復職して

私は神奈川の療養型病院に復職した。

良くも悪くもゆるい環境。
でも私にはちょうどよく合っていた。

そこそこの仕事、そこそこの勉強、そこそこの人付き合い。
中途半端だと転職していく若い子もいるけど、私には心地いい。

今まで持っていた不安と恐怖はきれいに無くなった。

給料は手取り25万~30万。
決して高い金額ではない。

でも飲食店に比べたら2倍近くになった。
自由に使えるお金は格段に増えた。
カードローンの借金は100万円を超えていたけど、丁度1年で完済できた。

仕事も緩め。
バイタルや服薬管理、リハビリの付き添いが中心。
勉強は以前ほどハードではなく、私でもついていける。
それでも担当患者さんが退院するときは自然と涙が出てくるほど嬉しかった。

「いままでありがとうね」

私は看護師として5年以上働いた。

でも感謝の言葉をもらったのは、この時が初めてだった。
私が求め続けていたのは「誰かに頼りにされること」だったのかもしれない。


最後に

「あなたは看護師に向いてない」

今でも当時の師長の言葉を思い出すことがある。
確かに私は看護師どころか、社会人としても不適合だと思う。

でも場所が変われば、輝けることがある。
こんな私であっても。

だから。
もし今。

「看護師に向いてない」と悩んでいる人がいたらこう言いたい。

「大丈夫だよっ!」と。

あなたの居場所は必ずある。
今は不運にもそうじゃない場所にいるだけの話。

無能な人間なんていない。
でも人を無能にしてしまう環境はある。

大丈夫。
あなたは必ず輝ける。


著者:鈴村愛子